2.大切な命

 

  今は命というものが、あまりにも(ないがし)ろにされ過ぎている。

 

 毎日のように誰かが殺され死んでいく。ゲームのような殺人。異常としか思えない事件の多発。未熟な凶悪犯。そんな中で老体にムチを打ち病気を抱えながら、けなげに必死に生きようとする命がある事を忘れないでほしい。命はどんなに弱々しい命でさえ尊い命なのだから。

 

 

 主人の母が「親は、自分の体を使い、最後の教育を子供にするの。死に際のすさまじい醜さを見せつけ、人間の限りある命というものをね」と言った言葉がすごく重々しく、頼もしい言葉として心に響く。

 

 

 私は最後に親から命の尊さを学んだ。段々弱っていく命の灯火を、いつまでも消したくないし、いつまでもそばに居たいという思いと、こんなに頑張っているのだからこれ以上のつらく苦しい思いをさせたくない。どちらの気持ちも譲らず天秤のように揺れる心。それでも歯を食い縛り必死に生きようと頑張る命の重さを知った。

 

 

 この人達から何も学ぶことはないとうそぶいていた私が、心の底から助けたい、病気を払いのけ、お風呂にもう一度入れてあげたい。氷の入った水をごくごく飲ませてあげたい。美味しいものをお腹一杯食べさせてあげたい、出来るものならお酒もたらふく飲ませてあげたい。温泉にも、ドライブにも、と手を合わせていた。

 

 

 普段何気なくしていたこと全てが難しくなって、どんどん弱っていく姿をずっと見届ける虚しさを感じながら。それでも一日でも長く生きて欲しいと願った。

 

 

 何の知識も準備もなかったのに、突然私は両親同時の介護に直面した。その記録を、いま現在、介護に悲鳴をあげている人達への応援歌として捧げたい。

 

 介護とひと口に言っても、やはり、周りの協力無しには出来ない事だ。

 

 嫁に行った私が主人の親を差し置き、自分の親を最後まで見届けられたのは、主人の協力と主人の両親の理解あってのことと、心から感謝している。

 

 

 地球規模では人口が増え続けていても、日本では生まれてくる子供が減り続けている。その状況のなかで介護も色々なケースが考えられる。長男と一人っ子の結婚もあるだろうし、一人っ子同士の結婚もあるだろう。私達のように子供に恵まれない夫婦もいるだろう。

 

  

 これからは夫婦で4人の両親を介護するケースも多くなるかもしれない。

医学の発達はめざましい。食生活の見直しやスローフードなど、身体に良い情報をマスメディアがふんだんに提供する。その効果で高齢者がどんどん増え続ける世の中になっていくのではないか。そのうち、孫がおじいちゃんやおばあちゃんを介護する時代がくるかもしれない。高齢者が増えたらロボットが介護する時代になるかもしれない。人間はいくら一人で頑張って生きていると胸を張っても、年老いて身体が不自由になれば介護が必要だ。

 

  

  最期は必ずだれかの世話にならなければならない。老後について考えれば考えるほど出口の見えない問題が湧いてくる。皆で考えを出し合って答えを探さなくてはならない。