9.母が乗り込んできた

 電話のベルが鳴った。母からだった。

 

 「あっ、○○子。今ね、お友達のAさんの家にいるの」

 

 「えっ、東京に来ているの。何でこっちに来る前に電話くれないの。ちゃんと迎えに行くのに。新横浜だったら家から車で15分もあれば行けるのよ」

 

 「そんなことしている暇はないの。遊びに来たのではないのよ。住まいを探しに来たのだから。」

 

 「え、ど、どうして。何があったの」

 

 「とりあえず話もあるから、今いるAさんの家に来てよ」

 

 すぐ自由が丘近くのAさん宅へ車を飛ばした。主人も休みの日だったので、何事かと一緒に乗り込んだ。

 

  母はその性格から長く付き合える人は少なく、Aさんはその数少ない友人の中で唯一の女学校時代の親友である。母はいつも急な話が多過ぎる。思い立った時はもう行動している。

 

  思い起こせば、名古屋の老人ホームの話の時も、いきなりの出来事だった。

 

  父と二人で家にいたら、母からの電話が鳴り、前の日にNHKでやっていた名古屋の老人ホームに、今いるというのだ。今まではそういう施設は海とか山とか人里離れた場所が多かったのが、名古屋で初めて町中で、普段の生活と変わらず、施設の目の前にバス停もあり半自立型の施設だと紹介されていた。その施設に母はいるというのだ。そして、もっと驚くべき事は、大変気に入ったので手付けをしたと言う。これにはさすがに父もびっくりである。そして、とんとん拍子に話が決まってしまったという経緯がある。今度も何だか嫌な胸さわぎがした。

 

 「御免下さい。○○子です」

 

  母が玄関先に出てきた。「こっちよ。こっち」と言いながら私達を部屋へ案内した。

 

 「連絡もなしにいきなりこっちに来るなんて。どうしたの。びっくりするじゃないの」

 

 「そんな事より、良い話があるの」

 

 「また変な話でしょ。何でもゆっくり考えもしないで勝手に決めちゃうのは悪い癖よ」

 

 「まあそう言わないで聞いてよ」

 

  Aさんがお菓子とお茶を持って来た。「いらっしゃい。あんたのお母さんはいつも急に来るからびっくりしちゃうのよね」

 

  母が「浜松のマンションは引き上げてこっちに移る事にしたの」

 

 「えっー、お父さんも知っているの」

 

 「あんなのに話しても何も解決しないわ。それにこの前、浜松の病院の診断で前立腺癌とわかり手術しなければ2ケ月で死んじゃうって言われたのだけど、それを診察したのが若いお医者さんだったものだから、お父さんたらその先生と喧嘩して帰ってきちゃったのよ。手術という言葉に異常反応を示したみたいだし。それに私も手術には気乗りがしないのよ。あの年で手術してもね。駄目なら駄目でしょうがないしね」

 

  あっけらかんとした母の言葉に、違う意味で私も74歳の父に手術は確かに無理だろうと思った。というか父は普通の74歳よりかなり老けている。

 

  煙草は吸うし酒は好きなだけ飲む。食べ物は好き嫌いが多く偏食である。若い頃は背泳の選手で国体まで行った実績はあるものの、その後はぱったりと運動からは縁遠くなり、今では歩くのが嫌で何処に行くのもバイクで行く。

 

  最近は見た目が若い高齢者が多いと言うのに父は年齢より10歳は老けて見える。それに引き換え、母は髪を染めている事も手伝って普通以上に若い。行動も敏速だが顔も身体も太っているからか、張りがあってつやつやしている。二人が並んでいると本当は5歳の開きでも20歳位違うと言っても納得するような感じだ。

 

 そんな父が手術なんかしたら、どちらにしても再起不能になってしまうのではないかという危惧が私にもあった。手術は成功したとしても、細胞を斬ってしまうので、術後の回復も普通の人よりは遅いだろうし、成功率も低いのではないかと思ってしまった。それに少しでも寝込んでしまったらきっと寝たきりになってしまうだろう。やはり父の手術は無理だ。

 

 医学が日々進化しているので今現在の手術なら、寝たきりにならずに成功しただろうが、当時は入院日数も多く、術後は寝たきりにさせられていたからだ。

 

 「お父さんなんか、癌だとしてもそんなに早く進行しないと思うよ。年も年だし。癌が怖いのは急激に進行するのが怖いのよ」

 

 「まあそのこともあるし、最近睡眠薬の量が増えちゃって精神科のカウンセラーにかかっているの。こっちに来れば○○子もいるから気も紛れると思ってさ。それに何だか今年あたりマンションの組合長にさせられそうだし」

 

  浜松では都会では考えられないほどにマンションの住人の交流が盛んである。正月だ。お盆だ。などと言っては皆で各家庭から一升瓶を持って集会所に集まるのである。かなりの酒豪の集まりで父は喜んでいたが、飲めない母にとっては苦痛だったに違いない。

 

  組合長にでもなろうものなら酒の肴の手配やなんやかやで大変だ。そのほかに組合でボランティアの活動もしており、神社の清掃や公園の清掃など色々で市から表彰もされている。そんな時は缶ジュースやお茶やお菓子の用意も組合長の仕事である。母には無理なことだが順番だからしかたがない。逃げて来たくなるのも分かるような気がする。