10.降って沸いた同居

 

 母たちがマンションに住み始め、落ち着く間もなく、古くて汚いと愚痴が始まるまでに時間はかからなかった。結局私は、1ケ月のうち10日位は向ヶ丘に通っていた。

 

 そんなある日、父が原付バイクで事故を起こした。浜松とは違って交通量が多いこっちではバイクに乗るのは止めて欲しいと前から頼んでいたが、知らん顔で乗り回していた。

 

 心配した通りの出来事が起こった。父は車と接触して横転したらしいのだ。車の方は、「馬鹿やろう。くそじじぃ。気をつけろ」などと言って逃げてしまい、父も医者に行った方がよいと言うのに病院にも行かず放って置いた。病院へ行くようにしつこく勧めたが、「そんなに色々な科に行けない。そうでなくても泌尿器科や内科などいくつもの科に通っているのだから。」

 

  

  変な言い訳をしていた。父が病院に行く日は、私がいつも車で連れて行ってあげているのだ。手足を擦りむいただけだし、私も大丈夫かなとは思ったが、それから半年が過ぎた頃、父は、真っすぐ立っていられず、ふらつくようになってしまい、杖を付いて歩くようになってしまった。母の話だと右へ右へと倒れるらしい。事故の時に左側の頭を強く打ったのかもしれない。

 

 

 「これじゃ二人だけでは暮らして行けない。どうしよう」

 

 

 「どうしようと言われても、私達のマンションには4人は住めないわ。だからこっちに住む時にうちのそばに借りればよかったのよ。あんまり慌てて決めるからよ。浜松のマンションを売っちゃえばうちのそばに中古マンションくらい買えたわよ」

 

 

  どうして何いつも無計画で物事を勝手に推し進めてしまうのか。そう思った時には後の祭りである。

 

 

  とにかく4人一緒に住める家を探す事になった。主人に相談したら二つ返事で承諾してくれた。

 

 「しょうがないじゃない。○○子のほかに誰もいないのだから」

 

 

  私は一人っ子を初めて恨んだ。だがそう決まったら早く探さなければ、と思う前に母から催促があった。老人施設を放浪する前、世田谷の自宅兼事務所を売却した時は2億円近くのお金を手にしたというのに、あっちこっち移り住んだために、浜松のマンションしか残らなかった。それも3千万円以上で購入したものが半額くらいでしか売れなかったのである。

 

  当時東横線沿線では一軒家だと6~7千万円ぐらいした。奥さんの親との同居の場合、普通は資産家であるとか大きな家が有るので同居するとか、何らかの利点があるものだ。それなのに一緒に住むために主人がローンまで組んで家を買うなんて、申し訳ないと思った。そんな思いを尻目に話はどんどん具体化した。

 

 

  せっかく買うのだったら家相のよい家がいいと、あれこれ探したが理想の家とはほど遠い。そんな時お風呂とか水周りの位置が悪いものの玄関の方角が良く、新築で大工さんが建てた家があり、まずまず気に入ってしまった。立地条件も前のうちから二つ先の駅で、駅から5分と言われた。実際には8分くらいかかるが、近い方だろう。母はトイレが二つ欲しいというが、これもクリアしている。ただ一つの難問は部屋が2階にしかなく、1階はリビングとお風呂とトイレのみということだ。

 

 「いいじゃない。2階に上がったり下がったりする方がお父さんだってリハビリになって。早く決めてくれないとお父さんなんか重くって支えられない」などと母にせかされて決めてしまった。私には母の決断力は遺伝していないのか。だけど一生に何度もあるような買い物ではない。母達のように服を着替えるように家を変えてきた人達とは訳が違うのだ。などと言っている間にも、父の状態は思わしくなく、ぜいたくを言っている場合ではなくなってきた。