19.回復はうれしいが・・・

 

 

  その後、父はだんだん外に出る事が好きになったらしく、自分で区役所に行き介護保険の事を詳しく調べて来た。この頃から介護保険が始まったのだ。

 

  父が○○町のデイサービスを尋ねて、自分が介護認定を受けていないことが分かり、そこのケアマネージャーに「私の担当ケアマネージャーになってくれ。介護認定の手配をして欲しい。」と頼んだらしい。

 

  その時のケアマネージャーがKさんで、父も母もお世話になった人である。Kさんいわく、「ご自分で来られて私のケアマネージャーになって欲しいと言われたのは後にも先にも○○さんだけです」

 

 

 父の足腰は弱々しい感じは残るものの、ほとんど回復していたので要支援という認定をもらった。デイサービスに月曜日と木曜日の週2回通うようになった。デイサービスではお風呂に入れてもらえる。

 

 父はお風呂嫌いである。それが、風呂場の椅子で座っているだけで、頭も身体も何人かで洗ってくれるらしいので気持ちがよいと喜んでいた。その後お昼のご飯を食べてから、簡単なゲームをしておやつを食べ、3時半ころ帰ってくる。父はゲームの時間にマージャンをしたいと提案して、許可が出たらしい。大変気に入ってデイサービスに通ってくれた。その間に掃除やその他の家事が出来るので有難かった。

 

 

 母も父のいない日は外に出られると張り切って、ボランティアのコーラスや唯一の趣味であるピアノのレッスンをしにヤマハの小ホールに通った。家にも母のピアノはあるのだが、ご近所に迷惑のかからないように消音装置を付けて弾いていたが、やはり思いっきり弾きたかったのだろう。たまたまヤマハの人と知り合いになり、空いている時は無料で使わせてくれることになったらしい。その日が父のいない日に重なると、父より早く出掛けてしまう。とりあえず二人とも機嫌がよいのは何よりである。

 

 

  しかしそれからしばらくして、父は自分で息切れを感じるようになる。

 

 

  「そのうち酸素ボンベを持ち歩かなくてはいけなくなるかも知れない」と言い出した。

 

 

 「病院で言われたの?」と私がいうと、

 

 

 「今度病院で検査をする」という。

 

 

 「だって、お父さん杖を付きながらやっと歩いているのに、どうやって酸素ボンベなんか持つのよ。無理よ。酸素ボンベって重いのよ」

 

 

 「大丈夫だよ。酸素ボンベを杖代わりにすれば」

 

 

 「何馬鹿なことを言うのよ。酸素ボンベってどんなものか見たことないの? 杖になるわけがないでしょ。先生に聞いてみなさいよ。笑われるから」

 

 

 「○○こそ何にも知らないくせに。何言うか。この馬鹿」

 

 

 「もう、馬鹿はどっちよ」

 

 

   こんな愚にもならない押し問答ばかりだ。娘はいくつになっても自分より馬鹿だと思っているのだろう。

 

   何か嫌な予感がした。