20.父の三番目の病魔

 

 

  父の手術から2年位過ぎようとしていた。

 

 ある日父が急に胃が手で掴まれているように痛いと言い出した。自分でO病院に行った。少したつと電話があった。

 

 

 「○○子か。入院することになったから、直ぐこっちに来て欲しい。準備する物もあるから」

 

 

 「分かった。直ぐ行く」前にも腸閉塞で入院すると言って、入院の準備をしたら、ただの便秘ということもあったので、またかと思い、あまり心配しなかった。入院の準備も慣れたものだった。

 

 

  うちの場合は両親の年金があるとはいえ、個室で入院するほどの余裕はないので、母から大部屋の六人部屋でと言われていた。保証金も少なくて済む。保険内であれば高額医療で少し戻ってくる。それでなくても父の場合は薬をたくさん必要としているし、色々な診療科に通っているし、医療費も馬鹿にならない。

 

  他にも、安く行けるとはいえ、デイサービスにも費用がかかるので、母としては入院するとしたら大部屋でよいと考えていたらしい。差額ベッド代は保険外のものだから、高額医療で戻ってくることもない。父と母は生命保険になじみのない世代というか毛嫌いしていた世代なので、医療保険らしいものにも入っていないのだ。こんな時のために医療保険には入っておくべきだと思う。

 

 

 父はとりあえず色々検査をすることになったが。暮れも押し迫ったころなので詳しい検査は来年ということになった。O病院はN医大の先生が多く1年とか2年の単位で入れ替わりがあるらしい。父の主治医の先生は、ちょうど交代の時期にあたり、来年から別の先生に替わるらしい。

 

 

 「来年は別の先生が来ますが、胃カメラを診る限り潰瘍はありますが色が綺麗なので悪性のものではないと思われます」との診断だった。これでとりあえず暫くは静かに暮らせそうだと思った。

 

 

  ところが、2、3日後の夜中にピンポーンと家のチャイムが鳴る。こんな時間に誰だろうと思ったらドアを杖でバンバン叩く音がした。父だった。夜中に病院を抜け出してきたのだ。病院の脱走はまずいので、夜中にまた車で病院に連れて戻した。

 

  父が言うには、「暮れから正月は先生が休みなので病院にいても意味がないよ。このままじゃ正月に酒も飲めないじゃないか」

 

 

  「何がお酒よ。胃潰瘍なのよ。お酒なんか飲めるわけがないでしょ。家に帰ってきても治療は出来ないのよ。病院にいなくては駄目よ。まして脱走なんかしたら病院を追い出されちゃうよ」

 

 

  父は胃を休めるために点滴だけで、食事をしていなかった。

  

  家から歩いて3~4分の近い病院とはいえ、真冬に寝巻きにガウンを羽織って、杖をつきながら帰ってくるとは。家に来るまでには広い街道を横断して来なくてはいけないのだ。しかし年末の深夜、通りを走る車もかなりスピードを出している。何という無謀なことをするのだろう。

 

 

 「お父さんったら、あんなによろよろしていて、やっと杖で歩いている状態なのに。何考えているのかしら。夜もおちおち寝ていられないじゃないの」

 

  母はかなり怒っていた。確かに危ない。しかし母はこの後すぐに、父を年寄りが入れる掛け捨ての交通障害保険と骨折保険に入れた。この対応の早さにもびっくりさせられた。