16.母と二人で父の在宅介護が始まる

 

  手術前はさんざん先生に脅かされたが3週間ほどで無事退院した。というより父が帰りたいとごねたのでリハビリもしないで帰ってきたのである。

 

 帰ってからの父はほとんど寝たきりに近い状態となった。

 

   母と役割分担を決めた。私は今まで通り家事全般。掃除、洗濯、買い物、皆の朝、昼、晩の食事の支度とその後片付けである。

 

  一口に食事といっても朝ごはんが終わってかたづけたら洗濯してすぐ昼ごはんの準備に取り掛かり、昼ごはんが終わって片付けたら買い物に行く。

 

  買い物は車なので買うものの一番安い店を探して2~3店は、はしごする。頭の中に色々な商品の底値が叩き込まれている。これが私の唯一の趣味でもあり特技でもある。

 

  帰ってきたら、年寄りは17~18時には晩ごはんを食べたがるので、第1回目の晩ごはんを終わらせる。主人とは時間帯が違うし、変わり者の両親から主人を守らなくてはならない。主人が帰ってきたら第2回目の晩ごはんが始まり、一緒に晩酌したら片付けて寝るだけの生活である。

 

  父の世話は母にやってもらいたいと申し出た。「ボランティアもよいけど家がこんな状態なのだから、お母さんも協力してくれないと。お父さんはお母さんの旦那さんなのだから。お母さんが寝たきりになったら私が介護するけど、お父さんはお母さんが介護してよ。私だって手一杯なのだから」

 

 

  母はしぶしぶ受けてくれた。しかし、父の介護は思ったほど楽ではなかった。下の世話に加えて頭と口が達者なだけに、母はいつもやり込められていた。母の口癖は、「まったく、介護されている方が偉そうにして。あんなじじぃ早く死んじゃえばよいのに。もう離婚したい」などと言い出す。いくら取乱していたとはいえ離婚と言われると聞き捨てならない。

 

 

 「ちょっと待ってよ。離婚って何よ。そんなこと、絶対に許さないから。わたし達はどうなるの。私達は、お母さんが大変だから一緒に住むことにしたのよ。忘れないでよ」

 

 

 「昔からお父さんとはそりが合わないっていうか嫌いなのよ。もう散々お父さんのために働いてきたのだもの。解放して欲しいわ。そのうえ自分は寝たきりなのに毎月の二人のお金を分けたいなんて言い出すのよ。寝たままで自分では買い物にも行けないのに。欲しい物は私が買いに行くのに、何考えているのかしら。あ~別れたい。あいつの顔を見ないでもよい所に行きたい」

 

 

  50年近くも財布を任されてきた母にとっては寝耳に水って感じだろう。しかし、そんな事で両親が別れたら、誰が父の世話をするのか。購入したばっかりのこの家は? 私だって黙ってはいられない。

 

 

 「何勝手な事言っているのよ。別れるならもっと早く別れといてよ。そしたら同居もしなくてよかったのに。」