27.突発性間質性肺炎

 

  父は家に帰りたいという気持ちを抑えきれずに、ピロリ菌の除去もしないうちに退院する事になった。

 

  4月の初め頃である。胃のリンパ腫は小さくなったとは言えまだしっかり胃の入口あたりにへばり付いているので、お粥をやっと食べられるくらいだった。父は入院してから3ケ月くらいの事なのに病院に閉じ込められたような言い方をしていた。

 

 S先生は退院後にすぐ必要な在宅酸素の手配をしてくれた。そして、呼吸器の身体障害者としての認定はされるだろうから、区役所へ行くようにと言われた。区役所に行くと色々な書類を渡され、認定は認定医のいる社会保険病院で検査をした結果によるとのことだった。すぐに検査の予約をして検査してもらった。父が呼吸器の第一級の身体障害者として認められたのは、その年の8月の事だった。

 

 

 帰ってきた父は思ったとおり寝たきりであんなに嫌がったオムツをしていた。退院後ベッドを借りるにも車椅子を借りるのにも介護保険の認定が必要なので入院中に介護認定を受けるために区役所の福祉課の人と面接をしていた。

 

 ケアマネージャーと一緒に介護認定の結果を待ったが、介護認定通知が届いたのは5月になってからであった。認定日は3月からということだったが、お役所の仕事は忙し過ぎるのだろうか。手元に証明書が届くのが必ず遅れる。暫定の認定なので6月には再度、更新しなくてはいけないのだ。寝たきりなので介護認定は5であった。

 

 ケアマネージャーのKさんと色々相談してベッドと車椅子を借りて、寝たきりなので入浴サービスを頼んだ。ベッドは最新式の介護ベッドで身体を起こして座らせたり、足の膝を持ち上げて膝を立てさせたりして完全な寝たきりでも身体を動かせるようになっている。購入するとかなり高価なものだろう。

 

 入浴サービスの方は3~4人で来て、携帯の浴槽を部屋の中へ運び込み家庭の水を車に引いてお湯にしてから浴槽に入れる。部屋の中に2本のホースを車と水槽のある部屋につないでいる。こちらでタオルと着替えを用意するだけで入浴と着替えをさせてくれる。お願いすればシーツ交換までしてくれる。大変有難い応援団だ。部屋が2階なので皆汗をかきながらも父に優しい言葉をかけてくれる。父は大満足と言った感じだ。父のお陰で色々な区役所のサービスや介護保険について知ることになる。

 

 父が頭の手術後に寝たきりになり、在宅介護していた頃は介護保険がない時だった。その頃も在宅介護を応援する施設や業者はあったのだが、全て自費のみで大変なお金がかかるといわれていた。入院していても完全看護ではない頃はヘルパーさんを雇うと1ケ月に80万円程かかると聞いたことがあった。そんなお金はどこを叩いても出てこない。それから考えれば大変有難いことだと思った。何とか退院してから、やっと必要なものが全て揃ったと思ったのもつか間のことである。

 

 「こんな寝たままの生活では運動不足になるよ。寝たきりの生活に成ってしまう。散歩に行きたい」と、父が退院して2日後に言い出したのである。S先生もあまり本人を動かさないようにと1ケ月分の薬をもらってあるというのに。

 

 「お父さんは大変な治療をしたばかりなのよ。退院してまだ2日しか経っていないのよ。それにトイレも自分で行けないのに何が散歩よ」

 

 「前も寝たきりだったがちゃんと練習すれば歩けるようになったじゃないか」

 

 「あの時は在宅酸素なんか使っていなかったのよ。お父さんは無理に運動して肺に負担を掛けちゃ駄目なのよ。先生に言われたでしょ」

 

 「じゃ先生に聞きに行くから病院へ連れて行ってくれ」

 

 「退院して直ぐに病院に行ったら先生もびっくりしちゃうでしょ。少しおとなしくしていてよ。ただでさえ早く家に帰りたいってお父さんが言うから無理矢理退院して来たばかりなのに何言っているのよ」

 

 「先生に電話するから電話機をくれ」

 

 「だから先生に聞いても私と同じことしかいわないわよ」

 

 「いいから、自分で聞くから早く電話機を渡せ」

 

 「じゃあ私が電話をして聞いて上げるから」全くしょうがない。母もお手上げ状態だ。いちいち先生に気軽に電話なんか出来ない。患者は父だけではないのだから。あんまり父が強引に言うので私にもどうしたら一番よいことなのか訳が分からなくなってしまつた。