36.二人とも寝たきり

 

 

正月休みも明け、母を連れて行こうとしたら父が病院に行きたいと言い出した。

 

「今日はお母さんが病院に行く日なのだから。明日にしてちょうだい。お母さんは大変な病気かもしれないから。今日は家でおとなしくしてちょうだい」と言うと「ぼくはどうなってもいいのか」と怒鳴りだした。

 

 何を言っても父は耳を傾けてくれない。「ぼくを病院に連れて行かないのなら死んでも一人で病院に行ってやる」と言い出した。参った。しょうがないので父をO病院に連れて行った。

 

 

  B先生にお願いして、父を検査入院させてもらう事になった。「そろそろ胃カメラを撮ってみましょう。」ということだった。待ちに待った母をその日にR病院へ連れて行くことは出来なかった。

 

  父が入院したので、安心して明日はゆっくり母を病院に連れて行けると思った。

 

  

  次の日、父の車椅子を車に乗せて、早速R病院に行った。病院にも車椅子が有るはずだが、初めてで探せないといけないので車椅子を車のトランクに入れた。母は初診なので紹介状を持って受付を済ませ血液内科で待った。H先生の部屋に呼ばれた。父の相談した同じ先生だ。先生の冷たそうな表情が心配だった。

 

 

 「何でもっと早く連れてこない」と怒られた。というのも生検の手術も手術室が予約制なので正月早々去年からの予約で一杯だという。入院も去年からの予約で部屋がないとのことだった。

 

  手術室の空きをパソコンで見てくれたが、「早くて3週間後だな」と言われた。しかし母の容態は一刻を争う状態だということを切々と告げると、外科と相談してくれ、生検しないで治療は出来ないとのことだった。しかし、症状は悪性リンパ腫に間違いないという話だった。

 

 

  外科で待たされ呼ばれた。若い先生だった。もうなりふり構わず涙ぐみながら外科の先生に訴えた。

 

  先生もすぐに他の先生に話をしに行き、一刻も早い対応が必要だと言って真剣に手術室の空きを調べてくれた。そして数日後に手術することになった。その報告をしにH先生の所に行った。

 

 「じゃあ入院手続きをして空き待ちだな」ということで、その日は手続きを済ませて母を家に連れて帰ることになった。もうお昼を回っていた。H先生も父の時とは違い人間らしい対応をとってくれたので少しは安心したが、入院できるか不安が残った。病院を出る頃は13時半を回っていた。

 

 

 「お昼はお父さんも入院していることだし何か美味しい物でも食べて帰ろうか」と言ったが車椅子なので、入口やフロアのフラットなところはファミリーレストランしかないと思い近くのお店で食べる事になった。

 

  母は食欲があまりないと言っていたがチョコレートパフェとイチゴのケーキをペロッとたいらげた。入院中は血糖値が上がるからと甘い物が食べられなかったからだろう。「今日位はいいよね」と食べてしまってからニコニコしながら言っていた。少し先が見えてきたので安心したのだろう。私も少しホッとした。