34.今度は母が入院

 

 

 父は、10月頃からデイサービスに通えることになった。それも2カ所のデイサービスの施設を利用出来て、合わせて週3回通える。母も父の居ない日は解放される。

 

 10時から3時位までの話だがストレス解消にはなる。母と一緒に「よかったね。」と言い合って間もない頃のことだ。母の足の付け根にピンポン玉のような丸いしこりのようなものが出来た。

 

 

 「ねえ。○○子ちょっと見てくれる?」

 

 

 「どうしたの」

 

 

 「何か股の所に脂肪の塊のようなものが出来ているのだけど」

 

 

 台所で洗い物をしていた手を止めて言われた所を見たら本当に脂肪の塊のような丸いしこりが出来ていた。場所が固定しておらず触ると移動するような感じだが、その時はそれ程大騒ぎすることではないと思った。固定していない塊だったら手術で簡単に取れるだろうと思ったからだ。後で何でそう思ったのか悔やむことになる。

 

 

 「病院に行った方が良いよ。脂肪だったら簡単に取ってもらえると思うよ」と気楽に言った。

 

 

 「お父さんもデイサービスで居ないから、今から行ってくるね」

 

 

 「いってらっしゃい」と送り出した。少したつと電話が鳴った。

 

 

 「あー○○子。何かね。検査入院だってさ。必要な物持って来てくれる?」

 

 

 「分かった」と電話を切り準備をして病院へ行った。

 

  

  母を見つけて「どうだったの?」

 

 

 「何かリンパが腫れているらしいのだけど、糖尿の気が有るので足が壊死して足切断もあるからって脅かされたの。調べて見ないと解らないけど、今の所リンパ節炎じゃないかって言われた。」

 

 

 「あっそう。徹底的に調べてもらわなくてはいけないよ」

 

 

 「うん。分かった。○○子には悪いけどそういうことだからお父さんは頼んだよ」

 

 

 「しょうがないでしょ。こんな時はゆっくりしてよ。私は大丈夫だから」

 

 

 「あー。あの馬鹿親父の顔を見なくて済むだけよかった。神様がくれた休養かもね」と母がぼそっと言った。

 

確かに母はよく父の面倒をみていたと思う。昔の母じゃ考えられないことだ。

 

 

 「ゆっくり休んで。心配ないから。毎日顔見に来るから。必要なものを言ってね」と言って、父が帰ってくる時間なので家に帰った。

 

  せっかくお母さんも週に3日も外に出られるようになったのに、病院の中じゃかわいそうだなと思ったが、本人はそれより顔を見なくて済む方がうれしいなんてね。余よほど父のことがストレスだったのだと思った。

 

 

  これからデイサービスから帰って来たときに2階に運ぶのは私一人の仕事になると思ったら先が思いやられた。

 

  何しろ毎日外に出たがっていた父のためのメニューとして週2回の1時間の車椅子散歩と週3回のデイサービスでほとんど毎日外出できるようにしたのだが、階段の上り下りは母と二人だったから何とかなっていたのだ。とにかく私一人でやるしかないと思った。

 

 

  父も外に出るためには努力を惜しまなかった。子供のようにカレンダーに書き込みをさせて、朝起きるとすぐに「今日は何の日だ」と聞いてきた。

 

  きっと生きがいなのだろう。考えて見れば人間生きがいなしに生きろと言われても無理な話である。外出することが生きがいなんてささやかな思いではないか。それくらいは協力すべきだとも思った。これで肺の病さえなければと何度思ったことか。

 

 

  その後、母の見舞いや父の世話や掃除に洗濯などやることが目白押しで目が回るようだった。母の状態も行く度に右足がむくんでくるのが分かった。入院した時はむくみなど全くなかった。とてもよい方向に進んでいるとは思えなかった。だんだん悪くなっているようにも思えてとても不安な気持ちになった。リンパ関係の病気らしいのに外科で入院しているのも不安要因の一つだった。

 

  最初は手術して取ってしまえばと思っていたので外科に行ったのだと思うが、抗生剤で様子を見るなら内科の仕事ではないかと素人ながら思ったものだ。そうこうしている内に母が退院することになった。入院して一ヶ月も経たない頃だった。

 

  母の右足はぞうのように膨れ上がっていた。退院するのはうれしいが、病状が悪化しているとしか見えないのに退院とは、ふに落ちない感じだった。取り敢えず家に連れて帰ったが、父が悪性リンパ腫の時にかかった血液内科のN先生に相談しようと思った。