35.夫婦二人とも悪性リンパ腫

 

 

 N先生は毎週月曜日の午前中にしか診療時間がないN医大から通いの先生だ。ちょうど父がデイサービスの日だったので、母とN先生の所に相談に行った。

 

 「父のリンパ腫のこともありリンパと聞くだけでとても不安です」と先生に告げると、「今度は内科的検査をしましょう」と内科で入院ということになり、父の主治医だったS先生が、母の主治医となった。通いの先生は主治医になれないからだ。S先生なら安心していられると思った。

 

 少したつとS先生はN医大の方に戻る事になったらしくB先生を紹介された。

 

 

 若そうだが口ひげが偉そうな先生だった。しかし、父の時からS先生に頼りっぱなしだったので、いなくなると聞かされ何か不安な感じになった。

 

 S先生から「今年中はまだO病院にいます」と言われたが、母の病状が改善されないのが気になった。そのうちに母のしこりは二つに増えていた。

 

 

 「先生、もしかして母は悪性リンパ腫じゃないですか」

 

 

 「悪性リンパ腫は二万人に一人くらいの珍しい病気です。夫婦で同じ病気に成ることは滅多にありません。日本でも夫婦ともに悪性リンパ腫というのは3例くらいしかありません。確率からいってもそれはないと思います。」

 

 

 

  当時は数少ない病気だった。

 

 

 

 「何しろ一つだったしこりが二つになるなんて普通じゃありません。とことん調べて下さい」

 

 

  それから数週間検査が続いた。お風呂には週2回ほど病院で入れてくれるようだったが、母は見る見るうちに本当の病人のようになった。

 

  点滴をしながらトイレは自分で行けるものの、足元がふらついていた。年末には退院する事になった。実際は悪性リンパ腫の疑いが濃くなり、生検するためにはピンポン玉のようなしこりを手術で取り除かなければ検査がこの病院ではできないらしい。リンパ球は網目状につながっているし足の付け根は動脈も静脈もあるので簡単に手術はできないのだと聞かされた。

 

  父の相談に行ったR病院の血液内科に今度は母の紹介状を書くとのことだった。もう正月休みなので来年の休み明けにR病院へ連れて行くようにと言われた。

 

 

  母はその頃になると首の付け根のあたりにも、しこりが出来ていた。父の場合は胃に出来た悪性リンパ腫だったので、胃カメラの時に組織を取り生検に出せたのだ。父が発病してからもう1年もたったのだ。何だか長い年だったような気がする。今年は正月だと浮かれている場合ではない。年明けにR病院へ母を連れて行くのが、たった1週間ちょっとのことなのに時間が止まっているように長く感じられた。

 

 

  その間、母を風呂に入れる度に右足の付け根のしこりがどんどん数が増えているのが分かった。もうしこりは自由に動かずタイルを敷き詰めたようにしこりが並んでいるようだった。

 

  退院する頃に10個くらいに増えていたしこりは何日もしないうちに20個位になり、一人で歩くのも困難な感じだった。父と母の二人は別の部屋なのでそれぞれの部屋に3度の食事を運び、二人ともトイレに一人で行けないのでその度に付き添った。

 

  私一人しかいないのに、正月休みでデイサービスも散歩のヘルパーさんも来ない。入院中の母は思うようにお風呂に入れなかったので退院したら絶対にお風呂に入れてあげたいと思った。一人で母を抱えるのは大変だったが気持ちよさそうだった。

 

  いつものように父は外に出たがるし、母は食欲がどんどんなくなり、熱も出てきて一人でどうしてよい分からない状態だった。唯一、主人がお休みなので色々手伝ってくれたのは助かった。家族全員が精神的にも肉体的にもボロボロだった。