40.やっと病名が確定

 

 

 朝からR病院に行った。手術は午後からだった。外科の先生に母と二人で呼ばれて手術の承諾書を書いた。手術は、1時から始まり4時半位までかかった。

 

 手術が終わると外科の先生から説明があった。かなり難しい所にあるものを切り離したので時間がかかったらしい。奇麗に取れて大成功だったらしい。生検のための手術なので喜んでばかりはいられない。

 

 最初は一つのしこりしか無かったのだから最初のうちに手術で取ってもらえば、とっくに治っていたのではないか、と素人考えだが真剣に思った。

 

 主治医の先生からお話があるというので6時くらいまで待った。看護師さんが呼びに来た。「お母さんも話を聞きに行こうよ」と誘ったが手術をしたばかりなので私に聞いてきてほしいと言う。私もそうだなと思った。呼ばれた部屋に行った。

 

 

 「母は手術したばかりなので一人で来ました」

 

 

 「そうですね。いいですよ。××さんの手術はうまく奇麗に取れたのですぐ生検に出した所、やはり悪性リンパ腫です。びまん性のB型です。足の付け根の他に脇の下と首の耳の下あたりにも確認出来ているのでステージは限りなくⅣに近いⅢです。横隔膜を挟み上下にあり、2ケ所以上あるということで、そういう診断になります。ステージⅣというのは末期ということで、骨髄にまで転移してはいなかったのでステージⅢです。2年生存出来ればよい方だと思います」

 

 

 「えっ!化学療法で治らないのですか」頭をハンマーで殴られたような衝撃が走った。

 

 

 「血液系の癌の場合、寛解が極めて難しいのです。現在、昔よりはよい薬が出来ているとはいえまだまだ苦しい副作用もありますし。人によって個人差はありますが、一度寛解しても再発しやすいですから。年齢的に考えても難しいですね。もっても2年くらいということです」

 

 

 「母には告知はしますし、本人もほとんど悪性リンパ腫だと分かっています。父も同じ病気でした。父はたった一回の治療で、しかも投薬も通常の半分の量で、ほぼ寛解に向かっている状態になりました。母も化学治療をすれば治ると思っています。私もそのことを強く母に言ってきました。母には治療すれば治ると言ってもらえますか。年齢からいっても2年なんて残酷な事は絶対に言えません」

 

 

 「もちろんご本人には良い方向へ向かう可能性だけをお話しましょう。もっと動ける方であれば何かやり残したことなどの今後の選択肢もありますが、××さんの場合は伝えない方がよいかも知れません」

 

 

 「有難うございます」

 

 

 「明日から色々検査やテストをして来週の月曜日から化学治療を始めます」

 

 

 「はい。宜しくお願いします」

 

 

  何でお母さんがそんな病気にならなければいけないのか。75歳という年齢で、健康に気を使い食事も運動もしてきた人が、病気でも苦しめられるなんて残酷過ぎる。足の付け根のしこりが出来てからまだ3ケ月もたっていないのにあまりにも進行が早すぎる。

 

 

 母はお昼の「思いっきりテレビ」を毎日欠かさず見ていた。健康には人一倍気を使い、私の作る料理に対しても食材の注文がうるさい位だった。常に血液サラサラになるように心掛けていた。

 

 万歩計を買い散歩も欠かさずしていた。父が倒れてからは中々思うように外に出られなかったが、やっと生きているという感じの父に比べ何十年も長生きすると確信していた。二万人に1人という珍しい病気の上に夫婦で同じ病気で、日本に4例目となるなんて宝くじに当たるより難しい確率である。血液系の癌でも普通の固定癌でも血液サラサラの若い体の方が速く増殖するらしい。

 

  父は好き嫌いが多く、緑色の野菜を食べ物と認めないような食生活をして。昔は歩くのが大嫌いで、その上にたばこは1日に40本以上吸って身体に悪い事ばかりしていた。そういう血の巡りの悪そうな体の方が癌は進行が遅いのだ。癌の方が住み難いと音を上げるのかも知れない。何て皮肉な事だろう。