41.母の入院生活

 

 

「月曜日から治療が始まるからもう大丈夫よ。これ以上しこりは増えないよ。後は寛解に向けて副作用に負けないで頑張って」と言った。

 

 母は手術したばかりなのにベッドの中で力こぶを作って見せながら「うん。頑張るよ」と小さな声で言った。私は、病室を出てエレベーターを降りる時には自然に涙が出ていた。

 

 

 母の病室は9階だった。病室の窓からは大きな競技場がよく見えた。

 

 母は新入りなので廊下側のベッドだったが、個別のカーテンを全開にして皆で話をしたり食べ物を分け合ったりしていた。6名全員が皆の病状を知っており、プライベートがあまり認められていない感じがした。良いことなのか悪いことなのかは一長一短といった感じがしたが、母にとっては煩わしかったようだ。

 

 

 奇麗でベッドも新式で見晴らしも良いのだが、冷蔵庫が小さい。ビジネスホテルの冷蔵庫位の大きさだ。その冷蔵庫に6名分の飲食料が入っているので新入りの母の分はあまり入れられない。

 

 今までのO病院では色々な病気の人が居るので、下手にお菓子とかを病室で配れないし、本人が欲しがっても勝手に病院食以外の飲食物を口にさせてはいけないと言われていた。

 

 血液系の化学療法をしている人達は副作用がひどいので、いつでも食欲が有る時にプリンでもケーキでもお弁当でも食べていいのだ。口に出来る時に食べないと体力がつかないし、点滴だけの栄養では治療に立ち向かっていけないらしい。

 

 病院食は時間ごとに出てくるが全く手を付けない人もいる。それにしては冷蔵庫が小さ過ぎる。私はお見舞いに行く時に必ず糖尿病の人も大丈夫なお饅頭を6個買っていくことにした。お饅頭が6人とも好きと分かり、糖を気にする人がいると分かった。もらっても困るようなものは駄目だし、1クールの内に免疫力の下がる時期には感染予防のため「なま禁」といって果物も乳製品もなま物は一切禁止となる期間がある。

 

 

  最初は分からずに、果物やショートケーキなど持って行ったりしたが「そんなものはこの病室の人は誰も食べないわよ。」ビシッと言われた。知らないで持っていったのだからもう少し言い方があるだろうと思ったが、母が仲間はずれになるような事は絶対に出来ないのでじっと堪えなくてはいけないと思った。

 

  この病院で見捨てられたらもう行く所がないような気がしたからだ。それ以外はお風呂も定期的に入れてくれるし看護師さんも悪性リンパ腫の勉強をしていて、かなり知識も豊富でとてもやさしかった。やっぱり大きな病院の方が安心感はあると思った。私は、前に父を連れてきた時に偏見で強制収容所なんてひどいいイメージを持ったことを反省した。