42.母の治療が始まる

 

 

 母の治療が始まった。そして父も退院してきた。父は入院中にリハビリをしたらしく食事はスプーンで食べられるようになっていた。

 

 父のいるO病院では看護師さんが足りないから放ったらかしなのだろう。それが逆に良いのかも知れない。その上に少しの距離ならつかみ歩きが出来るようになっていたが、それは前より危なっかしい感じがした。

 

 母の見舞いは毎日行かないといけない。新鮮な食べ物が必要不可欠なので母に毎日食べたい物を聞いて帰った。

 

 

 父の件でケアマネージャーに相談することにした。すぐKさんが父の顔を見に来てくれた。随分元気になったために逆に目が離せないことを理解してもらうと、ショートステイを勧めてくれた。

 

 ショートステイとは高齢者を長くても1週間ほど施設で預かってくれる制度だ。預かるにも審査があるらしいが、あまり審査が厳しくないという所に父の身上書と主治医の診断書を出した。

 

 本当は3ケ月前に予約をするらしいが、ちょうど空きがあるというので3日程お願いすることにした。いつでもいいので、空いていたらお願いした。父には悪いが、父が居なければ母の見舞いにもゆっくり行けるのだ。私の頭は破裂しそうなくらいパニックになっていた。でもここで音を上げるわけにはいかない。二人とも私の親なのだから私がしっかりしなくては。父のショートステイは毎月少しでも行けるようにしてもらった。

 

 

  母も1ケ月もしないのに首に出来ていたリンパ腫は消えていた。やっぱり化学療法が効いてきたのだ。母と喜んだ。「この調子で良くなっていくから頑張ってね」「頑張るよ!」母もだんだん病室の人達ともなじんできたみたいだった。しかし、副作用はかなり苦しいようだった。吐き気や身体中に虫がはうようなジガジガした感じがたまらない様子だった。

 

 

 

 

 

  先生に言われたとおり髪の毛は私が病院に行く度に薄くなっていたので、毛糸の帽子をかぶらせた。ベッドに抜けた毛が沢山付いてしまうのでコロコロテープを持って行った。

 

  私が行くと元気そうにしているが、病気と一生懸命格闘して頑張っているのがよく分かり痛々しかった。「頑張れ!」って言っていいのか。そう言われる事が逆につらいのではないか。充分頑張っているのになどと思っても何て声を掛ければよいのか分からなかった。しかし、私が「頑張れ!」と言わなくても母は私が帰る頃には「(ばば)ガキちゃんは頑張るよ!」と力瘤を見せてくれる。健気に頑張っている母の姿を見る度に自分の無力が悲しかった。