46.二人とも在宅介護

 

 

 大量の資料を送ってもらい電話との格闘が始まった。アポイントのアルバイトでもしているような日が続いて諦めかけていた時に、K市の診療所付きの老健施設から在宅酸素でもよいから書類を出すように言われた。

 

 早速用紙を送ってもらい、大量の書類を作成して送った。あまり期待をしていなかったが面接の日が決まった。

 

 ところが、あろうことか私は面接の日をすっかり忘れてしまい、待ち合わせの時間に家にいた。電話がかかってきて始めて気づいたのだ。平謝りに謝った。

 

 

 「今から伺っても宜しいでしょうか」と恐る恐る聞いてみた。

 

 

 「ここまで来るのにどれくらいかかりますか」

 

 

 「小1時間で行けると思います」

 

 

「ではお待ちしております」 

 

 慌てて出掛けたが、初めての場所ということもありかなり遅れてしまった。約束した時間より2時間は過ぎていた。もう駄目だろうなと思った。

 

 

 施設自体かなり築年数のたっているようだった。病院のような建物だった。面接室に入ると身体の大きな穏やかそうな病院の院長先生、年輩だが上品そうな看護師長さん、細面で目がギョロっとした賢そうな事務長さん、ふっくらした女性の施設長さんが待っていた。ひたすら謝った。

 

 何とか面接を終えて家に帰ってきた。父も往復3時間近くの長旅ですっかり腰が痛くなったらしく機嫌が悪かった。もうどっちにしても無理だし、とにかくタイムリミットは過ぎていたので母を家に戻す事にした。

 

 2月中旬だった。母の足の付け根のしこりは5個位になっていたが皮膚に赤い米粒のようなできものが数箇所表れていた。H先生に尋ねたら、「悪性リンパ腫は皮膚には出て来ないから何か湿疹が出ただけだろう。」と言われたので私もそれ以上は気にしなかった。父は1週間程ショートステイに行ってくれるようになっていたので助かった。

 

 入所日を3ヶ月前でないと取れない。それに、施設が空いている時でないと1週間も取れない。母の通院に合わせて月に2回2週間ごとに3~4日、父のショートステイを取る事は難しい状況だった。

 

 母の通院の日は主人が会社を休んでくれた。しかし、入院中に耳鼻科にも掛かっていたので月に3~4回も主人が会社を休むわけにはいかない。母が退院して1ケ月が過ぎる頃には予想していた通りどうしようもない状況に追い込まれた。

 

 

  父の化学療法に立ち会ったO病院の血液内科のN先生を訪ねた。母を入院させながら治療をしてもらえないか聞いてみた。N先生は母がR病院に行くまでO病院で診ていた先生だ。それに父の事もよく知っているので親身に考えてくれた。N先生はN医大から週に1度通ってきている先生なので主治医にはなれないと言う。

 

 

 「Y先生にお願いして見たらよいでしょう。確か同じ悪性リンパ腫の化学療法をしている患者さんを今丁度診ているはずですから」

 

 

 「宜しくお願いします。今のままでは私一人で両親を二人とも満足させられるような看病は出来ません。母も化学療法が効いてきて良い方向には向いているのです。でも父があんな感じですし、母もかなり身体がつらそうで食欲が全くないので、家で看るのはとても心配です」

 

 

 「それじゃ私の方からもお願いしておきますからY先生の診察の時に来て下さい」

 

 

 「ありがうございます。」早速Y先生の診察を受けた。

 

 

 「R病院の主治医の先生がOKを出してくれて紹介状をもらえるのであればこちらで診ましょう」とY先生が約束してくれた。

 

 

 R病院でH先生に申し出たらあまりよい返事ではなかったが、Y先生をご存知だったようで消化器系の先生だから糖尿病の方も見てもらえるだろう、と紹介状を書いてくれた。薬の処方の方もお願いしたら「とりあえず書いておきますが、病院によって処方が違うと思いますよ」としぶしぶ書いてくれた。

 

 本当は血液内科のあるR病院の方が、急変した時の対処がよい。その上に血液内科の看護師さんは知識も専門分野に関してはドクター並みに勉強している人が多いので安心できるのだが、背に腹は変えられない。