51.母との最期のお別れ

 

 

 母は去年までは飛び回って笑い転げるような陽気で元気な人だった。細胞も若かったのだろう。その分進行も早かったのかもしれない。

 

 手を握るとまだ温かい。思い出して先生に献体の旨を伝えると普通と少し処置が違うということだった。

 

 死亡すると全ての身体のカテーテルが抜かれ、穴という穴に綿を詰めるらしい。穴から色々な物が出てくるらしい。しかし献体の場合は綿を詰める事が出来ないのだ。それと普通はドライアイスを詰めて腐敗を防ぐらしいがそれも出来ないのだ。

 

 お通夜だけでも家でやりたいと思ったが7月の気温では腐敗が早いとのことで、東大の解剖学教室に電話した。朝の7時半くらいなら行けますと言われ、お迎えの時間を先生に伝えると、朝早いし病院が開く前だから霊安室ではなく処置室で待っていてよいと言われた。

 

 

  処置が終わるまで待合室で待った。主人が心配して背中をさすってくれた。不思議と涙は出なかった。処置が終わり処置室に入った。死に化粧も出来ないのでエンゼルセットで可愛く装ってくれた。組んであった手を握った。

 

  さっきより冷たくなっていたがまだ少し温かみが残っていた。暗い処置室で主人と二人で夜通しの通夜となった。お線香やお花はないけれど時間まで手をしっかり握っていた。母はお尻にも綿を詰められないので何回か看護師さんがオシメを替えに来てくれた。

 

  母は尿が出なかったので顔や身体が2倍くらいに膨らみそのために顔のしわが全くなく若々しく奇麗な死に顔だった。やがて窓から見える空が少しずつ明るくなっていくのが分かった。

 

  昨日と同じように蒸し暑く曇った日になるようだった。その空を見上げながら。今頃、母の魂はつらく不自由だった肉体から解放され自由に空を羽ばたいて親しかった人たちのところにお別れを告げに行っているのだろうと思ったら、又、涙が出た。

 

  長いような短いような時間が過ぎて、東大の医学部からお迎えが来た。大学医学部の献体なので簡単な木の箱かなと思っていたが、ちゃんとした桐の棺桶に白い絹のように柔らかい生地が敷き詰められて、枕と小さい掛け布団が入っていた。むくんだ母の身体はまだ温かく重くて、看護師さんや私たち夫婦総がかりで持ち上げた。

 

  棺桶に入った母に最後のお別れをした瞬間、涙があふれてきた。頭では母が死んだことを把握しているのだが、今まで手を握っていたので、母がまだ寝ているような錯覚に陥っていたのだろうか。このふたを閉めたら二度と会えなくなると思ったら涙が止まらない。看護師さんまで泣いていた。

 

  エレベーターで下の駐車場に行くのも看護師さんがついてきてくれた。黒塗りの車に乗せて出発した。これが母との最後の別れだった。