52.母への思い

 

 

 それから1週間位は夜になると何だか悲しくて毎晩泣いてしまった。あんなに元気だった母だけが何でそんな目に会うのだろう。神様は何で母を選んだのだろう。と思うと同時に、母にもっとやさしい言葉で接すれば良かったとか、私の言葉を母はどんな気持ちで聞いていたのだろうとか、悔やむ気持ちが入り混じって自然と涙が出てしまう。

 

 

 人一人が亡くなるというのは、事務手続きとしてもかなりの時間と手間がかかるということにはびっくりした。

 

 父は変に知識があるので母のわずかな遺産を自分の名義にすることを必死で考えていたらしい。母が亡くなったことを父に伝えると老健施設を出て自分が区役所とか銀行とかに行かなくてはいけない、○○子の勝手にはさせないなどと言い始めた。

 

 母の遺産と言えるほどのものではないが、父の名義の通帳に全て入れるように手続きに走り回っていた私達にひどい言い草だと思った。母は生きている限り年金は入ってきていたが入院費や治療費などその他身の回りの事などで色々費用がかかった。亡くなったらそのお金など入らない。

 

 税務署だって相手にしないような遺産や保険金の行き先なんて大騒ぎすることではないのにと思った。しかし、父は毎日のように電話をしてくる。

 

 

  父が自分の足でどこでも行け、身の回りの事も自分で出来るなら面倒な手続きは父本人でやってもらいたいが、父は帰ってきたら酸素ボンベ付きの車椅子で移動は車だ。

 

  食事やらトイレなど何一つ自分で出来ない。世話だけでも大変なのに父は何を考えているのだろう。

銀行さえ一人で行けないのにと思った。手続きが終わったら全ての通帳を見せて説明するからと言って委任状を書いてもらい、とりあえず老健施設にいてもらう事にした。

 

 

  本当なら母が亡くなって少しの間だけでも父に帰ってきて欲しくなかった。本来なら3ケ月は老健施設にいられる。あと1ケ月は施設にいてほしいと思った。

 

  父が戻ってくるのならそれなりの用意がある。母への思いに浸っている暇もない。母の部屋の整理もあり、やらなくてはいけないことが山積だった。

 

  父にしてみれば母の病気のせいで自分が老健施設に入れられているのだから、母がいなくなって自分が家に帰って何が悪いという感じだった。最初は父が自分でよい所だと勘違いして老健施設に入りたがっていたのに、そんなことは頭の片隅にもないようだった。

 

 

  少数ではあったが親戚やお友達がお線香を上げに来てくれることになったので、父を1週間ほど外泊させてもらうことにした。

 

 

  父は大騒ぎだった。迎えに行くと荷物を全部整理していた。

 

 

 「お父さん。1週間だけの外泊なのよ。またここに戻ってくるのだからね」

 

 

 「その話だが、院長先生にお願いしたら、契約は3ケ月だけどその前に帰ってもよいらしい。このまま家に帰ろうかと思う。同じ部屋のやつが気に入らないし、食事がまずくて食欲がない。睡眠が取れないからこのままでは僕まで倒れる事になる」

 

 

 「何言うのよ。眠れないのは家にいた時からじゃないの。食事だって栄養士の人が考えて薄味になっているのよ。ここは診療所だってあるし歯医者だってすぐ近くにある。こんなよい所ないじゃない」

 

 

 「○○子は僕が死んでも構わないのか」

 

 

 「何言うの。そんなこと言ってないじゃないの。何でそうなるのよ。話にならない」

 

 

  そんなやりとりをしながら家に帰ってきた。まだ母の部屋は手が付けられない状態だった。本当なら父が帰ってきたらベッドの生活になるのだから母の洋室の部屋が快適だと思っていた。まず母の部屋を整理して父の部屋の環境を整えてから父に帰ってきて貰いたかったのだ。

 

  父の部屋だった和室に仏壇を飾り、四十九日まではお線香を炊いていたかったので、父には母のべッドで寝てもらうことにした。父は一日中椅子に座っている事は不可能なのでベッドにすぐ寝られる態勢を取っておかなくてはいけなかったからだ。

 

  1日のほとんどはは寝ている状態だった。色々な人が出入りして父もかなり疲れた様子だったが人と話が出来るのが楽しそうでもあった。あっという間の1週間だった。

 

  父には父のために快適な部屋を用意するからもう少し老健施設にいて欲しいと頼んで施設に戻ってもらった。