58.介護者にも支援者を

 

 

 暮れの大掃除と正月の主人の実家の催しと、順調に予定を消化し、3日のきりたんぽ鍋の日が来た。行きの百貨店で手土産のチーズケーキを買い、代々木から大江戸線に乗り込み光が丘に向かった。

 

 電車の中で携帯電話が鳴った。父のショートステイ先からだった。ショートステイの途中に電話かかかってくるのは初めてである。途中で降りて施設に電話をしたら父が熱をだしたらしい。

 

 

 「○○さんが夕方から38度を超える熱が出て、全然下がらないので心配になりお電話しました」

 

 

  父はよく熱を出したが意外と熱に強く、解熱の座薬でいつも治っていると告げたが、施設には看護師さんはいるものの先生がいないので状態が変わったら救急車を呼ぶしかないという。

 

  あと2駅くらいで光が丘駅に着く。お邪魔する家の人が私の同級生のAさんと駅に迎えに来てくれることになっているので、とりあえず光が丘駅まで行った。Aさんたちが来てくれていた。主人と2人で行くというので、色んな人が一緒に宴会しようと集まってくれたらしい。後2日経てばショートステイが終わるのになぜ父はよりによって今熱を出すのだろうと憎らしくさえ思う。Aさんたちに事情を話して手土産を渡し引き返した。

 

 

  施設に行くのに本当は家に帰って車で行けば一番よいのだが、早く行った方がよいので最寄りの駅からタクシーで施設に行った。父は思ったより元気だったが38度6分の熱はまだ下がっていなかった。温かい格好にさせて身の回りの物だけ持って、待たせていたタクシーでかかりつけのO病院に向かった。主治医のY先生はいないが当直の先生が診てくれるという。着くとすぐ診察室に通された。

 

 

    若い先生だったが入院の用意をしてくれていた。父はよく熱を出すので慣れているのかそれほど苦しそうでもなく、普通にしゃべっていた。弱った人には見えない。私なら元々体温が低いので、38度6分もあったら声も出ないと思う。

 

  父は施設から病院に変わったというだけで家に帰れないのが不服なようだった。幸い家が近くなので、入院の準備をしてまた病室に行った。

 

  父は大きな声で看護師さんとしゃべっていた。全て終わって家に帰ると9時をっていた。主人と私はまだ夕飯を取っていなかったので家で簡単に済ました。本当なら本場秋田名物のきりたんぽを食べていたはずなのにと思った。

 

  翌日病院に行くと父の熱は多少の微熱が残る程度に下がっていた。原因は誤嚥肺炎だった。しばらくは点滴で栄養を取るという。父は昔から食べ物が気管支の方に入りやすく、食べる時にむせることが多かった。ただでさえ肺が悪いのに誤嚥は年寄りにとって命取りになるらしい。食べる時には充分に気を付けて下さい。と言われた。

 

  すぐ退院できると思っていたが、退院間近になると熱が38度以上に上がり、中々退院できない。父は病院に飽きてきたのか駄々をこね始めた。いくらごねても熱があるのに連れて帰るわけにはいかない。点滴から食事に変わると父は誤嚥を繰り返し、熱を出すようになっていた。病院も人手が足りないのか食事の時は父が自分でスプーンを使って食べていた。やっぱり見守りが必要ではないかと思った。

 

  少したって父の熱も下がり少し元気になった。退院してもよいということになり家に帰ってきた。父は急激に老け込んでしまったような気がした。ほとんど寝たきり状態で、あんなに抵抗していたオムツ交換も当たり前のような顔をしていた。ナースコールに慣れてしまったせいか、大した用事でもないのにすぐ部屋から呼び出しがかかる。一段と手間が掛かるようになったなと思った。

 

  朝と昼は私が食事の見守りをしたが、夜は主人と食事が出来るように夕食時だけヘルパーさんを頼んだ。