58.アクシデントが大変なことに

 

 

 そんなある日、友達の母親が亡くなったと知らせがきた。学生の頃の友達で自分の親には放任主義で見離されていた私は、その家によく遊びに行った。そして友達と一緒にその母親によく怒られた。

 

 昔は自分の子供だけではなく悪いことをしたら他人の子でもちゃんと叱ってくれた。今はそんなに熱い思いを持った親が少ない。逆切れが怖くて怒りもしない。友達の母親だがとても懐かしい人だった。

 

 

 父がいるのでお葬式には行けないがお通夜の前に顔だけでも拝みたいと思った。昼間ヘルパーさんを頼んでその日に訪問看護の看護師さんが来てくれることになっていたので、連絡して行くことにした。顔だけ拝んだらトンボ帰りで帰るからと看護師さんにも許しを得て行った。車で小1時間の距離なので少なくとも3時間くらいで戻ってくると言って出発した。

 

 

 ずっと元気だったので大丈夫だと思っていた。しかし、その日に限り父は痰が詰まった。看護師さんから連絡があり、慌てて帰ったら先生も家に来てくれたらしく、看護師さんが「待っていました」と言わんばかりに救急車を呼び病院に運んで行った。

 

「後一歩遅れたら呼吸困難で死んでいたかも知れなかったのよ。お父さんより大切な人のお通夜なの。死んだ人と生きている人とどっちが大切なの」とこっぴどく怒られた。

 

 父は元気そうでもかなり肺が悪くなっていると思い知らされた。痰を詰まらせて死なれたら、私は一生後悔したに違いない。病院に行った時は少しチアノーゼが出ていたが、1時間もしないうちに元気になった。もう大丈夫だから帰りたいと言い出したが、熱もあったし、「そう簡単には帰れないからね」と父をいさめた。

 

 父はすぐ誤嚥して高熱が出るようになっていた。もう食事どころか水さえ誤嚥する。何も飲めない。薬も水で飲めないのでゼリー状のものと混ぜてスプーンで飲ませるのがやっとだ。

 

 

  また家と病院の往復が始まった。

 

  ある日病院に行ったら父は両手を縛られていた。看護師さんが薬をゼリーに混ぜてスプーンで飲ませている。父は身体を揺すりながら苦しそうにもがいていた。

 

  私は思わず、「何をするんですか。誤嚥が酷くなっているのにゼリー状だからといって無理矢理飲ませて本人がこんなに苦しがっているのに。しかも両手を縛って。これじゃ拷問じゃないですか」

 

 

 「○○さんは水が飲めないのでゼリーに混ぜないと薬を飲ませられません」

 

 

 「それは分かりますが、手を縛ることはないじゃないですか」

 

 

 「薬を飲んでくれないのでしょうがないでしょう。薬を飲ませるように先生から言われていますから」

 

 

 「だからって痰でも気管を詰まらせるのだから、そんなにドロドロのゼリーでも気管が詰まる可能性があるでしょ。もし詰まって息が出来なくなったらどうするつもりですか。先生を呼んで下さい」

 

 

  私もむきになってしまったが、父は嫌と言ったらてこでも動かない所がある。痰と区別のつかないようなドロドロの薬なんか飲みたくないだろうし決して飲まないだろう。先生から言われたからといって手まで縛って無理矢理飲ませて、事故が起きるのは目に見えている。

 

 

  看護師さんといってもその人によってはやる事が丁寧で優しい人もいればそうでない人もいる。その看護師さんは前にも父と喧嘩していたことがあった。確かに父はわがままで扱いづらいし娘の私でさえ憎たらしくなることがある。看護師も仕事だから、嫌な人も看なくてはいけないのだろうが、父がこんなに弱っているのだからもっと人間らしく扱って欲しい。

 

 看護師さんは先生の指示通りに薬を飲ませるのは当たり前の事だろうと思う。しかし、患者を一番身近に看ているのが看護師さんであれば、ちゃんと毎日観察し状況を報告して、適切な判断を先生に仰いで欲しいと思う。

 

 手足を縛って薬を飲ませる行為を医師も奨励するのだろうか。

 

 父が呆けているとはいえ、父は拷問にあってると思うだろう。1日中病院にいられない私にとっては不安な課題だと思った。

 

 Y先生と話をした。「胃の悪性リンパ腫の方は良い方向に向かっているのに、間質性肺炎が進行して肺は機能していない部分が増えている。食道と気管支の間の弁が馬鹿になって、口から物を入れると気管支の方へ入ってしまう。口からの食事はもう限界かも知れない。点滴では栄養が足りないし鼻から管で栄養を入れる方が良いでしょう。そうすれば薬もその管から入れられる。」と言う。鼻から管を入れると自分で抜いたら危ないので手は縛らせてもらうということだった。言うことを聞かない患者の手足を縛るのは先生が指示していたんだ。しかし、そんなことを問いただす状態ではなくなっていた。

 

  さらに、延命治療するかどうか問われた。私は「父が植物人間になるのは望みませんが、もし延命治療することで本人の苦しみが取れるのであれば先生にお任せします。父が苦しんで死んでいくのだけは嫌です。とにかく苦しまないようにして下さい。延命治療が絶対必要とは考えていません」と伝えた。延命するとどうなるのか、しないとどうなるのか、という事が全く理解出来ていないので、何となくイメージで答えてしまった。