56.何を言い出すやら

 

 

 ある日、誤嚥したようには見えなかったのに、また高熱が出て救急車を呼び入院した。痰が肺に入ってしまって誤嚥したということだった。今度は簡単に退院できそうもない。アルツハイマーのせいか父はまた変な事を言うようになった。

 

 

「この病院は痰を取る器械を四、五十万円で無理矢理買わせようとしている。警察を呼んでくれ。年金生活者にそんな高い買い物できるわけがないだろう」とか、「週刊誌か新聞記者を呼んでくれ。ここの病院の実態を暴露したい」とか、あり得ない話をしだした。

 

 私が何もしないと、「○○子は病院にだまされている」「○○子は世間知らずだから駄目だ。」とか、「○○」子と僕とは考えが違う。」とか言い出した。

 

 これには参った。先生に何を言われても否定をしてはいけないと言われている。しょうがないので同級生のAさんに来てもらい父の気が治まるように話を聞いてもらうことにした。正月にきりたんぽ鍋を一緒に食べるはずだった人である。あの時から父の急変を心配してくれていた。彼女は元婦人警官だったので現在も警察官をしているという設定にしてもらった。

 

 

 「○○警察のAです。どうされましたか」と聞いた。元警察官だけあって堂に入ってる。

 

 

 「よい所に来てもらった。よかった。よかった。これで全てを解明できる。ここの病院を徹底的に調べてもらえば分かるはずだが押し売りのような商売をしている。きっとその器械の販売で儲けているに違いない。私に痰を取る器械と酸素吸入の家庭用をセットでべらぼうなお金で買えと言うのだ。私は年金生活者なのだからそんなお金は払えない」

 

 

 「お父さん。後は私が警察の人にちゃんと話しておくからね。無理に話すと疲れちゃうよ。ちゃんと話しとくからね」

 

 

 「ああ。じゃ○○子、頼んだよ」

 

 

  父は一生懸命話していたが、在宅酸素はもう家に置いてある。ずっと命綱として使っていたものだ。呼吸器の身体障害者ということで貸し出してもらっている。痰取りの器械だって必要になれば貸してもらえるのだ。父は独断と偏見を人に押し付けるタイプであるうえに頑固なので始末におえない。

 

  言い出したら人が動いてくれるまで言い続ける。だが今日は、Aさんが警察官のふりをしてくれたのでやっとおとなしくなった。

 

 

  Aさんが「あんたのお父さんも東大卒だけあって変に賢いから普通の呆け老人と言う事が違うね。呆けている人のような気がしないね」

 

 

 「だからたちが悪いのよ。あなたのお陰で助かった」

 

 

  Aさんは一人で3人の子供を立派に育て上げようと、昼は会社勤めをし、夕方からは資格を取得して、ヘルパーとして働いている。老人のことに詳しい。私はよく介護のことで愚痴を聞いてもらった。

 

  介護のストレスも煮詰まってくると人に話すのが一番の解消策だ。介護なんかしていると人と付き合うことも出来ない。まず時間がない。それでも電話でよいから時折愚痴を聞いてくれる人がいるのといないのでは(うん)(でい)の差があると思う。

 

  人と付き合う時間がないと友達も遠のいてしまう。そんな中で老人に詳しく嫌がらずに聞いてくれる友達がいたことは大変な支えだった。そういう友達がいない人でも、インターネットや電話などで愚痴相談の場があれば助かる。しかし、そんな暇な人は中々いないだろう。

 

 

  人は時々自分のしている事に不安になる。誰かに話して「頑張っているのね」とか「一生懸命やっているのだから大丈夫よ」とか言われて肩を叩いてもらいたい時がある。嫌になってしまった時にも話を聞いてもらって「大変だね」とか「中々出来ないよ」とか言われると、また頑張ってみようかなという気になったりするものだ。

 

  誰かのためにはなりたいが介護しながらストレスを感じるのも現実だ。罪悪感を誰かに打ち明けたい。人は精神的に弱いものかもしれない。そして、常に人に支えられて生きている。

 

 

 私の場合、父を介護しているつもりでも、父が私を必要としているということで、逆に私は精神的に父に支えられているのかもしれない。必要とされているという満足感を父からもらっているのだ。しかし、父の理不尽な要求を前にすると、そんな殊勝な考えも一気にどこかに吹き飛んでしまう。いずれにせよ介護する側にも心の支えが必要なのだ。

 

  父は少し元気を取り戻し、「家に帰りたい」と強硬に先生に申し出て退院の許可を得た。