57.父が戻ってくる

 

 

今までと違い痰取りの方法を看護師さんに教えてもらって、痰取りの器械を貸してもらい、ベッドも柵付のものにした。父に快適に過ごしてもらうために色々と病院にいる時と同じような態勢を家で再現しなくてはならない。

 

 そして家に帰れば今度は2階の部屋から頻繁に病院に連れて行けないので、訪問看護を頼まなくてはいけない。貸し出してもらえないものは購入しなくてはいけない。2~3日は忙しく走り回った。

 

 介護用品というだけで値段が跳ね上がる。オムツ替えの簡単なチャック付のズボンなどは替えも無くてはいけないので、一つだけ購入して構造を見ながら父が使っていたジャージに長いチャックを付けて作り直した。下着はごわつくので3枚ずつ買った。そのほか床ずれしないように腰に当てるクッション、食事の時のエプロン、持ちやすいスプーン、痰吐きの器、使い捨ての手袋など細々したものだけで4~5万円もかかってしまった。まだ必要なものがありそうだが、そんなに財布の紐を緩められない。介護ってお金かかるなぁとつくづく思った。

 

  血中酸素の量を測る機械も必要で5万円位すると聞いていた。そのほかに空気清浄機にイオンが出て加湿器にもなって部屋を温めてくれるものも見つけて購入した。肺だけでなく気管支も弱っているのでエアコンは身体に悪いらしい。

 

  ここまでくるとお金の感覚が鈍ってくる。今ではチラシを見ながら五十円でも安い物を買おうと努めていたのに、それを頭の中に中々蘇らせることが出来なくなってきた。土俵でしこを踏むように、「どすこい!いつでも戻って来い」って感じで父を家に迎えた。

 

  病院から運ぶのに私一人では運べないので主人が仕事を休んで運んでくれた。運んでくれる車を頼むとどんなに近くても一万円以上かかるのだ。歩いて3分位の場所だというのに同じだと言われた。父が帰って来るだけで大騒ぎだ。でも帰ってきた父が満足そうな顔をしたのでよかったと思った。夕食の時だけまたヘルパーさんを頼むことにした。病院で働いていた人が慣れているので頼んだ。

 

 誤嚥肺炎をしてから食事ができず、点滴で過ごしていたせいか、食事に時間がかかるようになった。お粥や流動食しか口に出来ないようになっていた。朝と昼は出来るが夜は主人の分もある。夕食はこちらで作ってあるものを、食べさせるのだけのヘルパーさんを頼む事にした。最初1時間くらいでと思ったが中々食べられないので1時間半にしてもらった.

 

 父は帰ってきた次の日から病院に行きたがった。あんなに退院したがっていたのに病院に行きたがるのだ。毎度のことだが参った。歩けない父は外に連れて行けない、その説明に2時間ほどかかった。父の身体は自由に動かないが口は滑らかによく動く。口だけは元気な人と同じかそれ以上だ。先が思いやられる。

 

 父は寝たきりの生活に飽きがきていたのだろう。今度は夜中に騒ぎ出した。ベッドのパイプをリモコンなどで叩き始める。私が父の部屋に行くと「病院に行きたい。早く連れて行け」はては「主治医の先生の名前は何と言う人だったか」夜中に騒ぎ出す。いつも夜中の3時頃のことだ。

 

  これには温厚な主人もうんざりしている。昼間仕事している人にとっては拷問に近い。

 

 「お父さん。具合が悪いとかオムツ交換とかだったら呼んでもいいけど、それ以外は昼間にして。幾らでも話を聞くから夜中はおとなしくしていてよ。眠れないのだったらテレビをイヤホン付けて見るとかテレビゲームをするとか何か一人で遊んでよ」

 

 「そんなこと言うなら死んでやる」と酸素の管を首に巻きつけたりするのだ。どう見ても具合悪そうではなく、体力が余っているように見える。

 

  昼間に寝かさないようにしたいが、病院だと食事を作る人、買い物する人、掃除をする人、痰を取る人、オムツを換える人、食べさせる人など、分担しているのに比べ在宅介護だと私一人で全部やらなくてはいけない。父にかかりきりにはなれない。その間に父は昼寝をしているのだ。ヘルパーさんをもっと頼みたいが介護保険が点数制になっているらしく頼める時間数が決まっている。それを超えると自費になってしまうので頼めない。

 

 その点数にはベッドとか借りている介護用品とか訪問看護も含まれるのだ。中々思うようにならない。少しでも動けていた時は2階から降ろすことが出来たのだが酸素をしたまま負ぶって下まで降ろすのは大変だ。まして2階まで持ち上げるのはもっと大変だ。一人では無理だ。父は、少しずつ痩せて軽くなっているとはいえ、まだまだ私一人では重い。