63.人間って

 

 

 人が素敵に見えるのは一緒に住んでいる人や周りの人間にも左右される。

 

 穏やかな人と一緒にいるだけで自分も穏やかでいられる。いつもイライラしていたり怒っていたりする人のそばにいたら、自分も怒りっぽくなってしまう。

 

 父は小さい時の心の傷――トラウマがあった。それを悪気はないが脳天気な母の言葉がチクリチクリと刺し続けた。そのたびに父の頭は沸騰したやかんのふたようにカチカチ鳴っていた。

 

 母は父の地雷を一つも外さず踏み続けた。

 

 母は教職に長く就いていた。そのために人に教える口調が抜けず、上からものを言う。それが、二人の喧嘩の発端になっていたのかもしれない。

 

 父は人から言葉で押さえ付けられたり教わったりするのが大嫌いな人間だった。母はささいなことでいきなり怒りだす父を理解できず、その心の狭さを嘆いていた。

 

 母は音楽が大好きでピアノを弾いている時は王室の音楽家にでもなったような気分でいた。そんな芸術的センスもなく、すぐに歯をむき出して怒り出す父を野蛮人と思った。

 

 そのうえ我慢を知らずにすぐに会社を辞めてきてしまう亭主に三下り半を叩き付けたいのをいつも我慢してきた。

 

 もし母が仕事をせずに父に頼りきっていたら、父は簡単に仕事を辞めていただろうか。父は仕事を辞めてさえいなければそれなりの地位も確保できたし、普通以上の生活はできたはずだ。鶏が先か卵が先かの話の例えのように、決して交わらないお互いの思いが旨く共存できる訳がない。

 

 それなのに二人の結婚生活は50年以上、死ぬまで続いた。摩訶不思議な話である。悪気はなしにお互いを傷つけ合っていたのだ。そんな夫婦はこの世の中に何万といるのかもしれないが、そんなストレスを抱えながら人に優しくなれるはずがない。

 

 

 不幸なことにこの二人の間に育った一人っ子の私は、幼い頃から両親の関心をもらえなかった。愛情に飢えていた私は誰からも好かれたいという思いが強く人の顔色を伺う子供だったように思う。

 

 小さい頃の私はいつも笑っていた。お祖母ちゃん子だった私は祖母の遺言で「いつも笑っていなさい。しかめっ面していると人の心を不安にさせる。笑っていると周りの人も幸せになれる。笑顔施(わがんせ)というお布施もあるくらいだから。笑う角に福来る。笑っている人にしか幸せはやって来ない」と教えられたからである。一時期でも祖母が居てくれたのは私の唯一の救いだったと思う。

 

  現代は核家族化でお祖父ちゃんやお祖母ちゃんのいる家が少ない。しかし、昔のように大家族で住んでいた頃の方が青少年の犯罪も少なかっのではないか。

 

  人間の「命」を最後の最後まで、色々な人の手を借りて大切にしている姿を、もっと子供に見せるべきではないか。それによって人間の「命」を少しでも理解できれば、人を簡単に殺したりはしないのではないか。大家族であれば誰かしらが子供たちの変化に気が付くので、子供が人に言えないいじめ問題とか、自殺の問題とか少しでもくい止めることができるのではないだろうかと思う。

 

  現在働き盛りの人たちには子供の微妙な変化をくみ取る時間がない。やはり、年齢とともにゆったりとした時間の中で子供たちの観察をしてもらい、通常の常識とかしつけ等をしてもらえるのはお祖父ちゃんやお祖母ちゃんしかいないのではないかと思う。