64.今思えば

 

  今やっと私は、この両親の子供で良かったと思う。何故なら、出来過ぎた幸せいっぱいの両親では色々な事も考えずに、のほほんと暮らしてきたに違いない。幸せを当たり前と思い本当の幸せを見逃していたかも知れない。だから今は両親に感謝している。

 

 病気になって初めて健康の素晴らしさを知るのだ。指の小さな傷が一つあっても不自由な思いをする。傷もなく自由に使える指のありがたさを知るのだ。不幸せを知って、初めて小さな幸せが一番大切と考えられる。

 

 人間の欲求は何処までも尽き果てることがない。良くなればもっともっと良くなりたい。お金だって愛情だってもっともっと欲しい。ありがたいという気持ちは、全て失って初めて分かるものなのだ。両親の介護を通じて、こうして色々な事を考えさせられた。貴重な体験である。

 

  介護とはゴールの見えないマラソンのようなもので、元気だった親が衰え弱って、汚く枯れていくのをまざまざと見せつけられる。しかし、人間の最後を看取れるのは人間としての大きな収穫である。

 

  主人の母が「親は自分自身の死によって子供に最後の教育をする」と言った言葉が、大きな響きとともによみがえる。終わってしまったから言うのではないが、介護を苦痛と思ってはつらすぎる。介護は人生勉強の場だ。人間の原点の「生と死」を考える勉強の場なのだ。

 

  私達夫婦だけでは二人を介護するのは難しかった。介護保険で介護用品を借りたり、ヘルパーさんに来てもらったり、デイサービスやショートステイで預かってもらったり、公共の手助けがあったからこそできたと思う。今その制度の見直しが始まり利用範囲が少なくなろうとしているのは悲しいことだ。寝たきりになる前にリハビリをして、元気で長生きの老人をめざすのは一番大切だが、病気によっては父のように運動させてはいけない人もいる。

 

 お役所のすることは、しゃくし定規でケースバイケースを考えないことが多い。全く融通が利かない。利用者によってそれぞれのパターンがあるのだから、各役所に資格と権限を持った人を配置して相談窓口を設けるべきだ。今の相談窓口では規定のみが優先されていて、特殊なケースを考えてもらえない。

 

  国会議員や都議会議員や地方議員の税金の無駄使いは正せない。それなのに介護保険は徴収した金額だけで賄おうとしている。国の税金のばらまきの是正、国会議員の年金を国民と同じように一本化する、無駄なえたいの知れない天下り機関を廃止する、無駄な国会議員を減らすなど色々な努力をして、福祉、介護保険、年金などへ回せばもっと良い介護が望めるだろう。国は国民の税金を増やすだけが得策と考えているらしいが、国自体の税金の無駄使いを減らす努力をしてもえば、消費税を上げずにいろいろな予算も取りやすくなるだろう。

 

  福祉を食い物にする人達は絶対に許してはいけない。老人介護は人間の原点を知る大切な場だ。より快適な介護環境を真剣に考えてもらいたい。そして、介護は勉強の場だから多くの人に参加を勧めたい。介護は先が見えないトンネルを歩いているようなもので、かなりのストレスがたまる生活だと思う。しかし、一番大切なことはヒステリックに完璧な介護を目指すよりも、心がこもった笑顔の介護だと思う。

 

   私も、死ぬ時は穏やかに死んでいきたい。いつでもどんなに苦しくて大変な時でも、心は自由に前向きに明るい気持ちでいたい。両親のそれぞれのお別れの夜を過ごした病室の窓から見た朝の陽の光は今生きているものへ、さぁ前に進めとエールを送っているように感じた。どんな不幸が襲ってこようともLet,s think positive!だ。その精神で行けば必ず明るい光が見えてくるはず。暗かった時の何倍もの光が必ず与えられると確信している。