60.父の最後

 

 

 その日の夜のことである。夕食が終わり横になりながらテレビでも見ようと布団に入ったとたん、電話が鳴った。病院からだった。父の容態が急変したのですぐに来て欲しいという。

 

 あんなに元気だった父が、と思いながら主人と病院に向かった。そして信じられない光景を目にした。大きな体をした副院長先生がか細くなった父に心臓マッサージをしていたのだ。父の体は、もうダランとしたままだった。

 

 父は自分の身に起きた事にビックリしたような表情のまま息は絶えていた。細くて小さいマネキン人形を揺さぶっているようにしか見えなかった。手に触るとまだ少し温かい。指先が紫になりチアノーゼが出ていた。酸素が足りなかったのだろう。

 

 自分の血の気が引いていくのが分かった。父は死んだ。担当医のY先生が駆けつけてくれた。

 

 

 人間は死ぬ前に少しだけ元気を取り戻すものだと言われた。でも夕方、「明日また来るからね。お父さん、しゃべれるようになったからってあんまりわがまま言わないでよ」「何をいうか。○○子の方がわがままだ」と言葉をかわした父がもう二度としゃべれないのだ。

 

 

 母の時と同じに、約束通り献体にするため、東大の医学教室に電話した。夜中ではないので2時間ほどで霊柩車で引き取りに来るという。それまで父のそばにいた。母の時はエンゼルセットで可愛く飾ってくれたのに父の時は放ったらかしだったので看護師さんに聞いてみたが、「エンゼルセットって何ですか?」と逆に聞かれてしまった。

 

 何だか心配になって分かっているとは思ったが、献体にするので保存用のドライアイスが使えないこと、全ての穴に綿を詰められない事などを看護師さんに伝えた。同じ病院なのに看護師さんが違うと扱いが違うのだ。母の時と同じように主人と父のそばにいて手を握っていた。もう冷たくなっていた。

 

 細い手だった。頭に何もかぶせてくれないので正ちゃん帽をかぶせた。色が白くてとても奇麗な寝顔だった。つい何時間前まで私たちは父と時間を共有していたのにあのときを境に父の時間は止まってしまった。

 

 今私たちの生きている時間に父はいない。父の時間はこれからは存在せず過ぎ去った中に閉じ込められてしまったのだ。色々な難病にくじけず不死身のように生きてきた父だった。死因は多分痰を詰まらせたからだろう。と思うとやりきれない。

 

 父はけなげに病気と向き合い、思い通りにならない体を奮い立たせて一生懸命闘ってきた。享年82歳だった。