59.衰えていく父

 

 

 翌日鼻から栄養を入れる管を入れた。ただでさえ酸素吸入をして息苦しそうなのに鼻から管を入れているのはつらそうだった。しかも手にミトンのようなものを付けられた上にベッドの柵に紐で縛られてしまった。私が見舞いに行った時だけ手の紐を解いてもらった。

 

 

  口だけは達者だった父は、もうおしゃべりさえ遮られて、おとなしくするしかなかった。口から水も飲めなくなり、母の時と同じに口が渇いてしまうので、それから毎日、口の中と外を拭いて氷をガーゼに包んで口の周り湿らせた。それでも口の渇きがひどくなったのでオリーブオイルで拭いた。

 

 

  父は枯れた声でうわごとのように口が渇いたと言っていた。元気だった時の体格のがっしりした父はどこへ行ったのか。目の前にいるのはガリガリに小さくなって老いたる父である。

 

  細い手を動かし一生懸命何かを言おうとしているが言葉にならない。でも目は見開いて何かを訴えようとしている。つらいのね。アルツハイマー中期と言われながらも、逆に顔を見ると何でも分かっていて頭がクリア過ぎて嘆いているようにしか見えない。そんな父を見ているのは心臓を突かれているようにつらい。

 

 

  おしゃべりな父がしゃべりたくても話せない。老いていくのは残酷で、病気はもっと残酷だ。何も出来ない私はあまりの無力さに力が抜けていく。

 

 

  父は弱っていくだけだった。そのうちに病室からナースステーションの隣にある集中治療室に移され、危ない状況が続いた。輸血をしなくてはいけないらしく書類を書かされた。母の時も輸血した日は元気を取り戻したものの次の日に容態が急変したことがあり不安があったがほかに選択肢はなかった。輸血が終わっても父の容態は変わらなかった。

 

  いつものように病院に行って、父の痰取りをするのだが何か固まっていて取れないので、口から管を入れてみたが中々取れない。口の中をのぞき込むと、管では引けないほどの大きな塊が見えたので慌ててティシュを突っ込み無理やり掻き出したら、ゴルフボール大の痰の塊が芋づる式に取れた。

 

  それから父はつき物が落ちたように滑らかにしゃべれるようになった。今までの苦しそうな声はこれが詰まっていたからだったのかもしれない。その日は「○○子、○○子」とうるさいくらいだった。これで元の病室に戻れるし、家にも帰れるかもしれない。「よかったね。命拾いしたね」と私が言うと父もニコニコしていた。次の日も父はますます元気になり、起き上がったりしていた。父が家に帰ってくるための準備をしなくてはと思った。